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人口減少率ワースト1の秋田県!湯沢市のデータは? その1

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 日本の人口減少問題が、たびたびニュースを賑わせます。 人口減少の何が問題かと言えば、働き手不足、社会保障制度の危機、そして経済と地域の縮小です。 深刻な問題なので、国も様々な施策を打ち出し、地方自治体も有効な施策が無いかと頭を悩ませている問題ですが、今のところ有効な手が打てているとは言えません。 人口減少率が、長い間ワースト1の都道府県がどこかと言えば、私のふるさとの秋田県です。 秋田県に関して言えば、最近の問題ではなく、ずーっと前からの課題なわけですが、全く改善の見込みがありません。 2014年に増田寛也氏が公表した「日本創成会議」によるレポート『消滅可能性都市』が世間を賑わせましたが、その頃よりも前から秋田県は人口減少が続いています。 秋田県は、少子高齢化の進行も著しく、様々なワースト記録を持っています。 少子高齢化については、 秋田県は課題先進県 などと言われますが、解決された試しがないような気がします。 私も秋田県内で働いていた時、人口減少問題に係る仕事をしたことがあります。 今から20年くらい前だったと思いますが、その当時、地域の人口推移と今後の人口予測を説明したところ、 出席者(70過ぎのじいさん)から「話が暗い、暗いよ。そんな話をするな」と言われた記憶があります。 課題としてはわかっていたとは思いますが、しっかり目を向けたくないということかなと感じました。 一般企業も自治体も 「その地域にお客さんがどれくらいいるのか?」 というのは経営を考えるうえで重要な指標です。 ということで、私は、本職とは関係ありませんでしたが、仕事の合間に実家がある湯沢市の人口データなどを調べ始めました。 今後、何回かに分けて、私のふるさと湯沢市の人口に関するグラフをご紹介します。これを見ると少子高齢化と人口減少が進む地方中小都市のリアルが感じられると思います。 今回は、1970年から2025年の湯沢市の人口ピラミッドの推移です。 これは、私が個人的な興味からコツコツ作っていたものですが、急激に進む少子高齢化と年齢構成の変化が視覚的に分かるので、問題の深刻さを説明する資料として使えると思います。 人口ピラミッドとは、ある国や地域の人口構成を、年齢別・男女別に棒グラフで表したグラフのことで、中央の縦軸に年齢(または年齢層)をとり、左右に分かれて男性と女性の人口(または割...

これまでの人生の振り返り パート3

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 前回のブログでは、就職するまでを振り返りました。 今回は、その続きです。今回で、振り返りは終了かと。 20代半ば過ぎに実家から通えるところに何とか就職しましたが、最初に配属されたところが、めちゃくちゃ残業が多いところで、4月からゴールデンウィーク過ぎまでは、平日は夜の9時まで、休日は朝から夕方までの勤務と、本当に休みが無かったですね。 残業代はしっかり支払われたので、同期よりも手取りは多かったです。 当時は銀行振り込みではなく、現金支給だったので、給料袋の厚さが頑張りの証でした。 通常、その配属先は4年くらい在籍するのが普通らしいですが、私はなぜか仙台市のある団体に派遣されることになりました。それも2年。 また地元を離れて、仙台市で一人暮らしをすることになってしまいました。 仙台に父親の知り合いがいて、ボロアパートを持っているということで、そこに住まわせてもらいましたが、ひどいところでした。 2年間、よくわからない場所で、何の役に立つのかもわからない仕事をさせられたわけですが、社会人になってからの一人暮らしは、それなりに楽しかったですね。自由になるお金が学生時代よりも多いですし、遠隔地手当的なものももらいましたし。 東北一の都市である仙台市での生活ですし、毎日のように飲みに行っていました。 今思い返しても、あの2年間は何だったんだろうと思います。 思い出すのは、国分町に飲みに行ったことやその当時仲良くなった人たちとバーベキューに行ったことですね。 仕事では、いろんな東北のまちに出張したので、それは記憶に残っています。 そして2年後。 秋田に帰り、普通の生活に戻りました。 秋田に戻って2年後に結婚して、その2年後に子供が生まれました。 子育ては、子供が丈夫ではなかったので、順調ではなかったですね。 いろいろな苦労がありました。 それでも子供は成長し、小・中・高と進むわけですが、これもなかなかに波乱に満ちた時代でした。子供によって、子育ての苦労って違うと思いますが、いやー、育てにくい子どもですよ(笑) そうこうしているうちに、私、職場で昇進したんですが、名前ばかりの管理職というやつでした。部下のお世話もしながら、自分の仕事も普通にやって、残業ばかり。しかも管理職なので、時間外手当なし。そこにコロナ禍。さらに忙しくなり、全く休日がなくなり、心身に不調を来たし、職...

ここまでの人生の振り返り パート2

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 前回のブログでは、高校生活までを振り返りました。 今回は、その続きです。 横手高校時代 前回の記事に書きましたが、私は高校時代の3年間、横手市の下宿で生活していました。 実家に帰るのは週1回。長い時間をかけて、山奥の実家に戻っていました。 高校2年生の時に、実家が道路拡張工事のため立ち退くことになり、それを期に山奥の田舎から 縁もゆかりもない湯沢市に引っ越すことになりました。 引っ越しした自宅から横手高校までは通える距離だったんですが、私は下宿生活を続けることになりました。 私が通っていた横手高校は、いわゆる進学校で、卒業生のほとんどが大学に進学します。 現在の秋田県の大学進学率が50%程度らしいですが、当時の大学進学率はもっと低かったはず。 山奥で育った私の場合、中学校の同級生で大学に進学したのは私1人でした。 1990年の日本の大学進学率は24.6%だったようです。東北は、これよりも低いはずですので、 それを考えると横手高校の生徒のほとんどが大学に進学するというのは、驚異的な話だと思います。 だからこそ、昔は横手高校に進学するだけで、地元では一目置かれる存在となります。 大学受験~大学時代 で、私ですが、大学に進学したことはしたんですが、大学受験には失敗しまして、希望した大学には 行けてません。 浪人も考えたんですが、高校の担任と相談し、欠員募集している大学に応募することにしました。 センター試験の成績だけで判定されるわけですが、なんとか補欠合格。全く進路として考えてもいなかった、某 国立大学に進学することになりました。 大学生活は、秋田県を離れてアパートで一人暮らしです。 大学は同じ東北圏内でしたが、湯沢市や横手市よりは大きなまちでした。 大学生がいるまちは、当然、若者も多く活気がありましたね。 高校時代は、学校へ真面目に通い、勉強もそれなりに頑張っていましたが、大学生になると生活が激変。 1年生の前半は、それなりに大学の講義に行きましたが、それ以降は、行かなくなることが多かった。 気が付けば、単位をポロポロ落としていて、4年間で卒業できず、結局5年間通いました。 行きたくもない大学に行ったからだと、親には言ったりしましたが、普通に振り返ってみると、第1志望校に合格していたとしても、変わらない生活だったかもしれません、はい。 私の大学1年生あたりがバ...

ここまでの人生の振り返り

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 ブログを再開するにあたり、自分のこれまでの人生を振り返ってみたいと思います。 この記事で、読者のみなさまに、私がどんな人間なのか、少しは理解してもらえたらなと思って書くことにしました。 小学校まで 私は、1970年代前半に、秋田県の南部の山奥の集落で生まれました。 こんな山道の先に人が住んでいるのか?というような峠道を上った先に、集落があります。 私が住んでいた当時は、それなりに人が住んでいて、小学校で100名を超える児童がいました。 当然、各学年1クラスでしたが、複式学級ではなかったです。 私の学年は、一番人数が多くて20人ちょっとでした。 山奥の小さな集落とは言え、普通にテレビ放送を見ることが出来ましたし、農協のAコープがあったり、魚屋もあったような気がします。私の近所には駐在所もあったし、酒屋や商店が並んでいました。床屋も何件かあったし、小学校も近かったので、集落の中でも開けたところでした。近くには食堂もあって、うちの祖父がよく連れて行ってくれたので、食堂のおばちゃんも私のことをよく知っていました。思い返してみれば、住民の数が少ないので、みんなのことをよく知っていたんでしょうね。 中学校まで 中学校は、2つの小学校から生徒が集まりますが、1クラス30人はいません。 他の小学校からは、どんな子たちが来るんだろうと思って、少々ドキドキしましたが10人いなかったと思います。女子は1人だけし、なんかがっかりした記憶があります。 中学校も特に、代わり映えのしない生活でした。 中学校3年生になり、進学先をどこにするのかを考えましたが、そこそこ成績が良かったので「秋田県立A高等学校」か「秋田県立横手高等学校」かの2択でした。 山奥の学校なので、大概の生徒は山をくだったところの高校に行って、成績がいい生徒は、A高校に行くのが一般的でした。A高校に行くのは多くて2~3人くらいという感じでした。 私の姉は、A高校に進学したので、高校生活の話を聞いていました。その中で、「いやだなー」と思ったのが、水泳の授業です。その当時は、A高校は、なぜか水泳の授業が厳しいという伝統があるらしく、泳げない私は。絶対嫌だと思っていました。 偏差値で比較すると、横手高校の方が偏差値が高く、県南でトップ、県内でも有数の進学校です。 A高校に行くにしても、横手高校に行くにしても、いずれも下宿生活...

横手高等学校甲子園出場に関する支援金(賛助金)について

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 私の母校、 秋田県立横手高等学校が甲子園出場 を決めてから、早4日が経過しました。 寄付金や支援金をどうやって届けたらいいのかわからない ので、 横手高校 や同窓会である 美入野会 のHPを毎日チェックしていますが、なかなか出てきません。 学校に直接持っていこうかなと思い始めたところでしたが、今日の朝、Xを見ていたら、 元衆議院議員で横手高校OBの寺田学さんのXに 「 横手高校 甲子園出場!支援金のお願い」 という内容の投稿をしていました。支援金お願いの文書の写真も載っていたので、ちょっと拝借させていただき、私のブログにも掲載させていただきます。私のところには、そんな文書は、すぐには届かないでしょうからね。 横手高校甲子園出場賛助金のお願い 横手高校甲子園出場(賛助金)支援金について 振込口座は次のとおりですが、口座名義がめちゃくちゃ長い…(笑)。 賛助金は、1口2,000円 で、出来るだけのご協力をお願いします! 口座名義は、 横手高等学校全国高等学校野球選手権出場支援協議会 会長 赤川千賀子 振込口座は、次の3つの金融機関です。 秋田銀行 横手支店 普通預金 1098525 北都銀行 横手支店 普通預金 8171547 秋田ふるさと農業協同組合 横手支店 普通預金 0084499 振込は、逆に面倒くさいけど、来週にでも支援したいと思います! どーーーんと、※※口! みなさんも、ぜひご協力をお願いします!

秋田県立横手高等学校、甲子園出場おめでとう!

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 今日は、私の出身地である秋田県で、夏の高校野球(正式名称は、 第108回全国高等学校野球選手権秋田大会 と言うそうです)の決勝戦があったようです。 私の母校である 秋田県立横手高等学校が決勝戦に進出 したというので、ネットで見ていました。 今年の秋田県大会は、有名どころがコロコロと負け、一体どの学校が甲子園行きの切符をつかむのか、全くわからない状況でした。 そんな中、母校である横手高校が決勝戦に駒を進めたので、とても驚きましたが、勝ち方を見ると、「これは、もしかして、行けるかも??」と思えるものでした。 横手高校ですが、初戦で、全国的にも有名なあの金足農業高校を3対1で撃破。 その後も県内で強い部類の学校との対戦が続きましたが、投手力で上回り、接戦をものにして勝ちあがっていきました。 準決勝では、同じ横手市内の横手城南高校と戦い、10対4で撃破。打線も少し上向いた状態での決勝戦でした。 そして、本日の決勝戦。大曲工業高校との県南対決です。横手高校は序盤から得点をあげ、エースを援護。 エースの佐藤投手もこれまでと同様のすばらしいピッチング。 途中から、安心して見ていられました。 終わってみれば、7対1の快勝! 横手高校は、なんと57年ぶりの甲子園出場を決めました。 いやー、興奮しました。いいお酒が飲めそうです。 私ですが、喜んで寄付しますので、思う存分、甲子園で戦ってきてください! (後日、横手高校同窓会の美入野会のHPに掲載された大会の戦績や決勝戦の応援の様子) 横手高校出身者には、企業経営者やお医者さんなどなど、地元の名士が多い ので、皆さん喜んで寄付するでしょうね。 くれぐれも、寄付をかたった詐欺に引っかからないように、気を付けてくださいね! 57年ぶりだから、次は何年後かな?私は、この世にいないな、たぶん。娘がかろうじて生きてるかも。 いやー、一生に一度あるかないかの体験をさせてもらいました。 横手高等学校野球部のみなさん、ありがとう! 甲子園での初戦は、どこなんだろう。気になるなー。

ブログ再開までの道のり

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  ブログ歴、振り返り 初めてのブログ 私がブログを最初に始めたのは、確か2007年頃だったと思います。 ある仕事がきっかけで、ライブドアブログに登録して、ブログを書き始めました。 日々の生活で感じたことや購入したもののレビューなんかを毎日毎日書いているうちに、読んでくれる人が増えて、それが面白くて、10年くらい毎日ブログを更新していました。 ブログには、文章だけではなく写真も掲載するわけですが、同時にカメラにも嵌ってしまい、デジタル一眼レフカメラまで購入しました。 その頃に買ったのが、ニコンD90で、これは今でも現役で使用しています。今でも、いい写真が撮れます。 それまでの人生の中で、10年間も自分の意思で毎日継続したものは、ブログ更新以外なく、今考えるとあの情熱は何だったんだろうと思います。 そんなブログも、ちょっとした読者からのコメントがきっかけで、馬鹿らしくなってやめてしまいました。 人間、心が折れるのは、簡単なんです。はい。 独自ドメインでブログ運用 しかし、数カ月が過ぎてから、「やっぱりブログやりたいなー」と思い、始めたのが 旧ブログ です。独自ドメインまで取得し、JUGEMの有料プランで再開しました。 そこの経緯については、 こちら をご覧ください。 10年間続けたブログは、家族はもちろん、職場の一部の人も私が書いていると知っていましたが、現在のブログは家族にも内緒にしています。 以前のブログは、少々志を高く、地元に少しでも貢献できる内容をということで、地元の観光情報やイベント情報、特産品情報などを書いていましたが、10年も書くとネタ切れやマンネリ化するので、後半は、自分の欲しい物や買ったもののレビュー記事が多くなっていました。 ということで、再開してからは、毎日更新にもこだわらず、自分が書きたいものを書くことにしました。当然、「私がどこに住んでいるのか」や「何者なのか」ということも秘密にしました。 しかし、住んでいるところも秘密にすると、それこそ特徴が無いブログになってしまい、ネタ的にも困る気がするので、今は出身地くらいは明かそうかなと思っています。 再開したブログですが、家族にも内緒なので、なかなか更新できないというジレンマに陥りました。スマホでももちろん更新できるのですが、私は世代的にパソコンでの記事作成の方がやりやすいので、家族がいない...